ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「インノケンチウス5世」の意味・わかりやすい解説
インノケンチウス5世
インノケンチウスごせい
Innocentius V
[没]1276.6.22. ローマ
フランス出身の第185代教皇(在位 1276.1.~6.)。福者。本名 Pierre De Tarentaise。ドミニコ会出身の初の教皇。1240年頃にドミニコ会に入り,1255年以降パリ大学で研究し,教鞭をとった。1264年頃からドミニコ会のフランス管区長を務め,アルベルツス・マグヌスやトマス・アクィナスと共同で,ドミニコ会の研究の指針を作成した。教皇グレゴリウス10世(在位 1271~76)により,リヨンの大司教,オスチア・アンティカと教皇領の司教枢機卿(→カーディナル)に任命され,1276年1月に教皇となった。在位期間は短かったが,グレゴリウス10世の取り組みを引き継いで十字軍を編成し,東西教会の統一と,イタリアにおける地域対立の調停に努めた。主要な著作に,ペトルス・ロンバルドゥスの『命題集』の注釈書がある。また,ドミニコ会士の習慣だった白い司祭服を教皇の祭服として定着させた。祝日は 6月22日。
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