朝日日本歴史人物事典 「藤原資経」の解説
藤原資経
生年:治承4(1180)
鎌倉前期の公卿。定経の子,母は平親範の娘。正治1(1199)年父の出家にともない,祖父権大納言経房の養子となり家督を継ぐ。三事兼帯,蔵人頭を経て,貞応1(1222)年参議・左大弁,元仁1(1224)年大宰大弐。嘉録1(1225)年権中納言への昇進を人に先んじられ,子の為経を右少弁に任じ申して参議を辞す。安貞2(1228)年正三位に叙され,翌年大弐を罷免される。文暦1(1234)年出家,法名乗願。延応2(1240)年には父の遺領を異母弟経賢と争う。吉田大弐と号される。日記『自暦記』。『平家物語』の作者のひとりとする所伝があり,その蓋然性がいわれている。<参考文献>武久堅『平家物語成立過程考』
(今村みゑ子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報