吉田陣屋町(読み)よしだじんやまち

日本歴史地名大系 「吉田陣屋町」の解説

吉田陣屋町
よしだじんやまち

[現在地名]吉田町立間尻たちまじり東小路ひがしこうじ西小路にしこうじ北小路きたこうじ本町ほんまち裡町うらまち魚棚うおだな

南北に細長く広がる地区で、現吉田町の中心市街地にあたる。ほぼ立間尻たちまじり浦に囲まれるように位置し、北は立間村・喜佐方きさがた村・深泥みどろ浦に接する。

元和元年(一六一五)宇和島藩主となった伊達秀宗へ渡された慶長一九年(一六一四)藤堂和泉守殿より引渡免帳には吉田の地名はみられない。明暦三年(一六五七)伊達宗純へ吉田藩が分封された時、「喜佐方村之内吉田新田分」が御在館御屋敷となったという。吉田新田は舟山弁六の見立であらかた村姿になっていたものを御在館にしたという(郡鑑)。おそらくこの「吉田新田」が吉田の地名の起源であろうが、吉田新田の名の由来については諸説あり不明である。

分封後、明暦四年正月、尾川孫右衛門の縄張で御在館が見立てられ、七月藩主宗純が初めて吉田にはいった。翌年から宇和島藩の加勢も加わり、宇和島藩当時すでに新田になっていた場所に加えてさらに埋立てが行われ、吉田の陣屋町の形成が始まる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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