日本歴史地名大系 「吉茂庄」の解説 吉茂庄よししげのしよう 広島県:高田郡美土里町吉茂庄美土里町のほぼ全域と東隣の高宮(たかみや)町西部を荘域としたらしく、元禄一五年(一七〇二)の「高田郡中聞書」に「来女木・原田・羽佐竹・川根・生田・桑田・本村・横田・北、此九ケ村昔いつの頃かよしまつの庄と唱申候と申伝へに御座候、文字分り不申候故カナ書にて差出申候」と記すのが吉茂庄かと思われる。建久二年(一一九一)一〇月日付の長講堂所領注文(島田文書)に<資料は省略されています>とあり、後白河院の長講(ちようこう)堂(跡地は現京都市下京区)の所領荘園として成立していたことが知れる。次いで建保二年(一二一四)二月一七日付の円智置文案(「洞院部類記」所収)に「尊重寺曩祖平宰相親信卿建立、元在五辻 其寺顛倒之後、旧跡今者院御領也、円智以彼本仏、奉渡大原、而其後亦建立当寺、奉請之、寺領安芸国吉茂庄 加賀国能美庄」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by