朝日日本歴史人物事典 「名越朝時」の解説
名越朝時
生年:建久4(1193)
鎌倉中期の武士。北条義時の次男で,母は比企朝宗の娘。北条氏の家督の得宗家に次ぐ家格である名越家の基礎をつくる。北陸道諸国の守護と任じられていたが,建暦2(1212)年に女性問題で源実朝の勘気に触れて駿河国富士郡に籠る。和田義盛が挙兵した和田合戦が起きる直前に警戒のため呼び出され,合戦では敵の勇将朝比奈義秀と戦い,奮戦して賞賛される。承久の乱では北陸道の大将軍となって上洛。乱後は式部丞・越後守を歴任して,嘉禎2(1236)年には評定衆となって幕府政治に大きな影響力を与えた。<参考文献>五味文彦『武士と文士の中世史』
(五味文彦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報