コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

名越朝時 なごえ ともとき

2件 の用語解説(名越朝時の意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

名越朝時 なごえ-ともとき

1193-1245 鎌倉時代の武将。
建久4年生まれ。北条義時の次男。北条泰時の弟。鎌倉名越の館にすみ,名越を称す。建暦(けんりゃく)2年3代将軍源実朝(さねとも)の勘気にふれ,義時に義絶されて,駿河(するが)富士郡に蟄居(ちっきょ)。翌3年和田義盛の乱のときゆるされた。承久(じょうきゅう)の乱では北陸道大将軍として朝廷軍をやぶった。嘉禎(かてい)2年評定衆。寛元3年4月6日死去。53歳。通称は次郎。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

名越朝時

没年:寛元3.4.6(1245.5.3)
生年:建久4(1193)
鎌倉中期の武士。北条義時の次男で,母は比企朝宗の娘。北条氏の家督の得宗家に次ぐ家格である名越家の基礎をつくる。北陸道諸国の守護と任じられていたが,建暦2(1212)年に女性問題で源実朝の勘気に触れて駿河国富士郡に籠る。和田義盛が挙兵した和田合戦が起きる直前に警戒のため呼び出され,合戦では敵の勇将朝比奈義秀と戦い,奮戦して賞賛される。承久の乱では北陸道の大将軍となって上洛。乱後は式部丞・越後守を歴任して,嘉禎2(1236)年には評定衆となって幕府政治に大きな影響力を与えた。<参考文献>五味文彦『武士と文士の中世史』

(五味文彦)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

名越朝時の関連キーワード承久記得宗松下禅尼三浦泰村安東忠家伊賀朝光女五十嵐小豊治金沢実泰長井時広北条兼時(1)

今日のキーワード

大統領補佐官

各種政策の立案その他に関し,側近として大統領に助言する役職だが,実質上はブレーン,顧問として多面的な役割を担う。憲法で定められた唯一の行政責任者である合衆国大統領は,強大な権力を持つにもかかわらず,議...

続きを読む

コトバンク for iPhone