20世紀日本人名事典 「君塚樹石」の解説 君塚 樹石キミヅカ ジュセキ 大正・昭和期の活字設計・彫師 生年明治33(1900)年 没年昭和45(1970)年 出生地東京・牛込 本名君塚 与一 学歴〔年〕高小〔大正2年〕卒 経歴大正2年13歳で博文館に入り、石渡栄太郎に師事。活字の彫師として24歳の時、博文館の8ポイント明朝活字を彫った。次いで印刷会社精興社の臼井赫太郎の委嘱で精興社の活字を制作、昭和3年同社の9ポイント活字を完成した。以来東京日日新聞、朝日新聞、読売新聞、三省堂、千代田活字、日本法令などの活字を設計、彫刻した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「君塚樹石」の解説 君塚樹石 きみづか-じゅせき 1900-1970 大正-昭和時代の活字彫刻師。明治33年生まれ。博文館にはいり,大正13年同社の8ポ明朝体活字の種字(たねじ)をつくる。白井赫太郎(かくたろう)の依頼をうけ,昭和7年精興社の活字を完成させた。東京日日・朝日・読売の各新聞社,三省堂などの活字制作も手がけた。昭和45年死去。70歳。東京出身。本名は与一。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by