三省堂(読み)さんせいどう

改訂新版 世界大百科事典 「三省堂」の意味・わかりやすい解説

三省堂[株] (さんせいどう)

1881年に亀井忠一(1856-1936)が東京,神田神保町で創業した出版社。当初,古書店として出発したが,83年に桃林堂,開新堂,十字屋とともに同盟四書房(合版(あいはん))を組織し,《ウヰルソン氏第一リードル 独(ひとり)案内》を処女出版し,ついで84年《英和袖珍字彙(しゆうちんじい)》を刊行,書籍出版に進出した。88年に合版をやめ,単独で出版するようになった。同年《ウヱブスター氏新刊大辞書和訳字彙》を刊行,これが大成功をおさめ〈辞書の三省堂〉の礎となった。92年には《中等教育 日本通史》を発行,中等教科書へ進出し,96年には《帝国大辞典》の刊行により国語辞典の分野にも進出,これが後の金沢庄三郎編《辞林》(1907)の成功へとつながる。また亀井は用紙・印刷の研究にも熱心で,1889年には三省堂印刷所を設立,惜しくも92年の神田の大火で焼失したが,これを契機に,95年には本格的印刷工場を設置した。1902年,日本最初の総合百科事典である《日本百科大辞典》の編纂に着手,08年に第1巻を刊行して以後第5巻まで刊行したが続かず,12年に倒産した。しかしその刊行の意義を認める人々によって13年,日本百科大辞典完成会が設立され,19年に全10巻が完結した。また,15年に従来の販売部門を分離して〈三省堂書店〉となし,出版および印刷部門はそれぞれ株式会社に改め印刷部門のあった,現在の千代田区三崎町において再出発した。21年国産インディアペーパー王子製紙と共同開発し,《袖珍コンサイス英和辞典》(1922)をはじめ,同〈和英〉(1923),《広辞林》(1925)などを刊行,大成功をおさめた。また23年にはベントン母型彫刻機を輸入,今井直一が中心になり,辞典用の活字活字書体の研究開発を行った。74年再び倒産,会社更生法の適用を受け84年6月再建完了した。
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代表的書店の一つで,1915年,三省堂の出版・印刷部門と分離した後,28年株式会社に改組され,翌29年には神保町に3階建て本店を新築,文具,洋品売場を併設して〈学生のデパート〉と称した。64年東横線自由ヶ丘駅前店を開設,以後多店化をすすめ,各地に27支店をもつ(1996現在)。81年,創業100周年にあたり,神田本店を新築した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「三省堂」の意味・わかりやすい解説

三省堂
さんせいどう

出版社。1881年古書店の三省堂書店として創業。間もなく出版事業を開始し,1915年三省堂書店から出版・印刷部門が分離独立して設立。創業時から辞典の出版に力を注ぎ,特に 1922年から刊行している一連の「コンサイス辞典」が有名。教科書,一般書籍の出版も行なう。1970年代後半,出版業務の不振から倒産したが,その後の立て直しに成功した。1981年印刷部門が三省堂印刷として独立。1988年に『大辞林』を刊行。

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日本の企業がわかる事典2014-2015 「三省堂」の解説

三省堂

正式社名「株式会社三省堂」。英文社名「SANSEIDO publishing co., ltd.」。サービス業。大正4年(1915)「三省堂書店」から分離独立し設立。本社は東京都千代田区三崎町。出版社。辞書・事典・教科書出版の草分け。小中学生から社会人・シニア向けまで幅広い読者層を対象とした出版物を刊行。

出典 講談社日本の企業がわかる事典2014-2015について 情報

世界大百科事典(旧版)内の三省堂の言及

【百科事典】より

…こうしたさまざまな試行を経て,本格的な百科事典が現れることになった。三省堂《日本百科大辞典》がそれで,1902年,大隈重信を総裁に,斎藤清輔を編集長として編纂が開始されたこの事業は,08年に第1巻を刊行したが,多くの困難に遭い,経済的にも行き詰まって,12年に三省堂が破産するに至った。しかし,この事業の挫折は大日本帝国の文化的な力の威信にかかわるという声もあがり,再建が計画され,19年に当初全6巻の計画が全10巻となって完成した。…

※「三省堂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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