日本歴史地名大系 「吸坂」の解説 吸坂すいさか 石川県:加賀市南郷村吸坂[現在地名]加賀市吸坂町南郷(なんごう)村の東、大聖寺(だいしようじ)川左岸に突き出た丘陵の東面に位置する小村。近世には南郷・上河崎(かみかわさき)・下河崎・黒瀬(くろせ)四ヵ村の出村で独立した村ではなかった。東方に広がる江沼(えぬま)平野に臨み、はるかに動橋(いぶりはし)方面を遠望する地にある。慶長五年(一六〇〇)の大聖寺城をめぐる攻防で、城主山口宗永の子修弘らが前田利長勢の動きを偵察したと伝える大物見場跡がある。元来当地は水田が皆無に近く、「江沼志稿」によると耕作地は上河崎村にあったようで上河崎村高のうち二石八斗六升余が吸坂分とされ、また同村越高のうち下河崎村領吸坂分二斗六升余、南郷村領分二斗八升余、黒瀬村領分四斗三升で、合計三石八斗余であった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by