日本歴史地名大系 「吹原村」の解説 吹原村ふきはらむら 新潟県:糸魚川市吹原村[現在地名]糸魚川市吹原土塩(つちしお)村の東。東方の鉾(ほこ)ヶ岳(一三一六・三メートル)の鞍部吹原峠の入口村。真光寺(しんこうじ)・日光寺(につこうじ)を経て早(はや)川を渡河し、越(こし)・宮(みや)ノ平(だいら)をたどる道は当地から吹原峠越で島道(しまみち)川沿いを下り能生(のう)谷(現西頸城郡能生町)の島道方面へ通じる。この道を古代の北陸道とする説がある。天正一五年(一五八七)八月の経田永付帳(伴文書)に「ふき原村」と記し、中世は経田(きようでん)村のうち。貫高七貫二六八文、米合計二一俵一斗余。名請人は惣左衛門尉一人。地名に宮前・河原田・こしまき・そてのわせ田などがある。正保国絵図に高三〇石余とある。延宝五年(一六七七)の村々高付之帳によれば地高二七石二斗余・青苧高一石八斗余、名請人九が早川谷大肝煎の支配を受けていた。 吹原村ふきはらむら 青森県:西津軽郡木造町吹原村[現在地名]木造町吹原屏風山(びようぶさん)砂丘の東南部末端に位置する。北に南広森(みなみひろもり)村、南に駒田(こまた)村、西方の屏風山砂丘の中に小堤(こづつみ)、ソリ沼などがある。天和三年(一六八三)の広須御新田所図に村名が「高野」とみえる。「西津軽郡史」によれば、貞享年間(一六八四―八八)に高野(たかの)村を吹原村に改称したという。貞享元年の郷帳に吹原村とある。貞享四年の検地帳によれば、田畑屋敷合せて四三町二反四畝二五歩、村高二九五・五五五石とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by