新撰 芸能人物事典 明治~平成 「吾妻光」の解説 吾妻 光アヅマ テル 職業女優 本名原田 酉子 生年月日明治31年 6月15日 出身地東京市(東京都) 学歴和洋女学校〔大正4年〕卒 経歴新劇運動に参加、大正8年帰山教正監督「白菊物語」で映画デビュー。直後水谷八重子ら新劇協会の「青い鳥」に出演。次いで帰山の「幻影の女」でヒロインを演じ、キネマ旬報などで絶賛された。以後同協会の看板女優として帰山の「湖畔の小鳥」などに主演を続け、10年「活動画報」に「新しき戦線に立ちて」を寄稿。同年2月東大卒業直前の野尻清彦(大仏次郎)と結婚。帰山の「父よいづこ」(12年)まで主演を続け、家庭に入った。 没年月日昭和55年 5月19日 (1980年) 出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報 Sponserd by
20世紀日本人名事典 「吾妻光」の解説 吾妻 光アヅマ テル 大正期の女優 生年明治31(1898)年6月15日 没年昭和55(1980)年5月19日 出身地東京市 本名原田 酉子 学歴〔年〕和洋女学校〔大正4年〕卒 経歴新劇運動に参加、大正8年帰山教正監督「白菊物語」で映画デビュー。直後水谷八重子ら新劇協会の「青い鳥」に出演。次いで帰山の「幻影の女」でヒロインを演じ、キネマ旬報などで絶賛された。以後同協会の看板女優として帰山の「湖畔の小鳥」などに主演を続け、10年「活動画報」に「新しき戦線に立ちて」を寄稿。同年2月東大卒業直前の野尻清彦(大仏次郎)と結婚。帰山の「父よいづこ」(12年)まで主演を続け、家庭に入った。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吾妻光」の解説 吾妻光 あづま-てる 1898-1980 大正時代の映画女優。明治31年6月15日生まれ。新劇運動に参加,大正8年映画芸術協会にまねかれ,9年「幻影の女」でヒロインを演じる。10年野尻清彦(大仏(おさらぎ)次郎)と結婚,家庭にはいる。大仏次郎記念館の建設につとめ,昭和54年から名誉館長。昭和55年5月19日死去。81歳。東京出身。和洋女学校卒。旧姓は原田。本名は野尻酉子(とりこ)。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by