吾川郷(読み)あがわごう

日本歴史地名大系 「吾川郷」の解説

吾川郷
あがわごう

和名抄」高山寺本・東急本ともに「吾川」と記し、訓を欠く。「土佐幽考」は「在高岡郷之北此郷帯贄殿川、今訛称波川村」とし、「日本地理志料」は「亘波川・日下・龍田・加茂・佐川・荘田・黒岩・中野ノ諸邑黒岩郷、為其疆域」とするが、この比定地は広く、仁淀によど川支流日下くさか川の流域と、その西側を北流する柳瀬やなぜ川下流域一帯で、現吾川郡伊野いの町、高岡郡日高ひだか村・佐川さかわ町の各一部にあたる。

吾川郷
あがわごう

「和名抄」高山寺本・流布本ともに「吾川」と記し、高山寺本は「阿加波」、流布本は「和加波」と訓ずる。仁平三年(一一五三)正月二八日吾川郷のうち山崎庄三五町余が伏見ふしみ稲荷社般若会供米料田として立券されている(「伊予国山崎荘立券文案」九条家本「中右記」部類巻一六裏文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報