河野通信(読み)こうの みちのぶ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「河野通信」の解説

河野通信 こうの-みちのぶ

1156-1223 平安後期-鎌倉時代の武将
保元(ほうげん)元年生まれ。河野通清(みちきよ)の子。治承(じしょう)4年(1180)源頼朝に呼応し,父とともに伊予(いよ)(愛媛県)高縄山城で挙兵。敗死した父のあとをうけ伊予内の平家与党を討ち,壇ノ浦の戦いでは兵船をひきい源義経軍にくわわる。承久(じょうきゅう)の乱(1221)では後鳥羽(ごとば)上皇方について敗れ,陸奥(むつ)平泉(岩手県)に流された。貞応(じょうおう)2年5月19日死去。68歳。通称四郎

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の河野通信の言及

【河野氏】より

…中世の伊予国(愛媛県)の豪族。古代の越智(おち)氏の流れをくむと伝えられる。風早郡河野郷(現,北条市)を根拠地とする。源平合戦時に,通清・通信父子が源氏方にくみして勢力をのばし,戦後は御家人の地位を得て伊予国最大の武士団に成長した。その支配領域は,風早郡を中心にして中東予に及んだ。承久の乱(1221)では通信が京方に味方し,所領所職の大半を失ったが,その子通久が鎌倉方についたのでかろうじて命脈を保った。…

※「河野通信」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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