日本歴史地名大系 「和気保」の解説 和気保わけほ 石川県:能美郡辰口町和気村和気保国衙官人であった和気氏が開発したと推定される保で、鍋谷(なべたに)川中流の現辰口町和気を遺称地とし、同川上流域やその南方仏大寺(ぶつだいじ)から、下流域の現小松市河田(こうだ)町を含む一帯に比定される(小松市の→河田村)。康暦二年(一三八〇)長野田(ながのだ)郷中野田(なかのだ)村(現小松市)にあった長福(ちようふく)寺領和気金剛(こんごう)寺の新名が同寺尼別当宗妙によって大禅寺(所在地不明)の璧峯崇徳に寄進されている(同年四月一日「尼宗妙等寄進状」大徳寺文書)。また仏大寺にあった禅寺仏陀(ぶつだ)寺の太容梵清が応永二六年(一四一九)五月二二日に書写した「正法眼蔵」(巻五一、玉雲寺文書)の奥書には「能美郡和気保南坪埜村」とみえるが、南坪野(みなみつぼの)村は仏大寺村の旧称とされる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by