朝日日本歴史人物事典 「和田厳足」の解説
和田厳足
生年:天明7(1787)
江戸後期の歌人。本姓弓削。名千尋,厳足。真震とも称す。通称震七郎。号釣竜翁。熊本藩士和田団四郎の養子。本居宣長門の長瀬真幸に国学を学ぶ。中島広足とは同門。また武術にも長じた。藩士としては不遇で,文政5(1822)年には八代へ,嘉永2(1849)年には葦北郡佐敷へと左遷され,熊本に還ることなく佐敷で没した。師真幸の歌風を受けて万葉調の和歌をよくし,不遇の思いを結実させたような歌が見いだされる。<参考文献>弥富破摩雄『和田厳足と其の家集』
(久保田啓一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報