和田新村(読み)わだしんむら

日本歴史地名大系 「和田新村」の解説

和田新村
わだしんむら

[現在地名]婦中町上轡田かみくつわだ

神通川中流左岸に位置し、すぐ西側を神通川の分流御門みかど川が流れる。北東和田村、南は上轡田村。上轡田村の枝村であるが、位置が和田村に近いためこのように名付けられた(婦負郡志)新川にいかわ郡に属し、万治三年(一六六〇)以降富山藩領。享保六年(一七二一)の高五一石(「村付高改帳」島倉家文書)。寛政二年(一七九〇)の新田高七三石余・平均免一ツ九厘余、小物成は柳差役七匁五分三厘(高物成品々手鏡)。なお水損によると考えられる永引が、元文三年(一七三八)から宝暦一一年(一七六一)まで四回にわたって計一五石六斗余ある(「富山藩高物成帳」斎藤家文書)


和田新村
わだしんむら

[現在地名]稲美町和田

幸竹新こうたけしん村の南、同村から続く印南野いなみの台地の緩やかな傾斜面上に位置する。和田(上和田)西和田にしわだ(下和田)の二つの字からなる(大住文書)元禄郷帳に村名がみえ、高二三五石余。寛延三年(一七五〇)高畑村・和田新村・西谷新村明細帳(加古川市蔵)によると、寛文一一年(一六七一)より元禄一五年(一七〇二)までの新田畑検地帳が一三冊あると記すので、開発はこの頃であり、高畑たかはた(現加古川市)支配と注記されているから、南隣の高畑村民が開発にかかわったと推定される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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