出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
兵庫県南部,明石川,加古川,美囊(みのう)川に囲まれた三角形状の台地で,東西約20km,南北約15kmにわたって広がっている。〈いんなみの〉とも呼び,かつては伊奈美野,稲日野とも書いた。播磨町の大中遺跡ほか弥生時代,古墳時代の遺跡が多い。地形的には海成段丘面で,低位の大久保台地と岩岡,母里,加古の高位台地に区分されるが,台地のまわりを流れる河川と急崖で隔てられているため水利が悪く,近世初期まで開発は行われなかった。《万葉集》に柿本人麻呂,山部赤人をはじめ多くの歌があるが,広漠たる未開の原野のさまをのべたものが多い。江戸時代に入って加古川,明石川の本支流の水を導く工事が行われたが,水利権の関係で秋冬の非灌漑期に引水して貯えるしくみのため溜池が多く築かれ,日本の代表的な溜池密集地域となった。明治以降,淡河川(おうごがわ)疎水(1891),山田川疎水(1919)が完成して台地の開発が進み播磨の穀倉地帯となった。最高時(1940年代)に溜池の数は大小合わせて130余といわれ,その面積は加古新村(現,稲美町)の例では耕地面積の25%以上を占めた。しかし最近は神戸の都市化の影響で工場や住宅団地の進出が多く,印南野に特徴的な溜池も姿を消しつつある。
執筆者:小森 星児
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
兵庫県中南部、旧加古郡一帯の台地。東は明石(あかし)川、西は加古川、北は美嚢(みの)川で境し、南は播磨灘(はりまなだ)を望む、東西20キロメートル、南北10キロメートルの地域である。畿内(きない)の西の玄関口であり、『播磨国風土記(ふどき)』には印南野、『万葉集』には印南野、稲見野、稲日野(いなびの)として詠まれている。平安時代には禁野(きんや)であった。水利条件が悪く、江戸時代はワタ作を主としたが、明治前期に衰退した。1915年(大正4)の淡河(おうご)川・山田川疎水(そすい)の完成で水田化が進展した。大小無数の溜池(ためいけ)景観はみごとである。
[二木敏篤]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…最高時(1940年代)に溜池の数は大小合わせて130余といわれ,その面積は旧加古新村の例では耕地面積の25%以上を占めた。しかし最近は神戸の都市化の影響で工場や住宅団地の進出が多く,印南野に特徴的な溜池も姿を消しつつある。【小森 星児】。…
…1647年(正保4)には国高は1570ヵ村54.2万石,新田高1.2万石となった。それが1702年(元禄15)には1800ヵ村56.8万石となるが,この正保~元禄の間の石高増加で注目される点として印南野(いなみの)の開発がある。明石・加古両郡にまたがる広大なこの台地は,近世初頭に村は一つもなかったが,正保以後新田開発が進み,その西につづく印南郡と合わせると,ここだけで7900余石の新田が成立しているのである。…
…地形は東部と西部でかなり異なる。加古川から明石川に至る東播地方は,六甲山地の隆起の影響を受けた印南野(いんなみの∥いなみの),青野ヶ原をはじめとする段丘地形が分布している。最高位の段丘は標高100m内外で,地形,堆積物,土壌などを指標に4面の段丘が識別されている。…
※「印南野」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新