印南野(読み)イナミノ

デジタル大辞泉 「印南野」の意味・読み・例文・類語

いなみ‐の【印南野】

兵庫県南部の加古川明石川二流域にまたがる野。溜め池が多いことで有名。[歌枕
「―は行き過ぎぬらし天伝ふ日笠の浦に波立てり見ゆ」〈・一一七八〉

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精選版 日本国語大辞典 「印南野」の意味・読み・例文・類語

いなみ‐の【印南野】

  1. 播磨国(兵庫県南部)にあった原野。現在の加古川、明石川の二流域にまたがる。歌枕としては加古川以東をさし、「続日本紀」では放牧場として見える。いなびの。
    1. [初出の実例]「人上先祖吉備都彦之苗裔、上道臣息長借鎌、於難波高津朝庭、家播磨国賀古郡印南野焉」(出典:続日本紀‐天平神護元年(765)五月丁酉)

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日本歴史地名大系 「印南野」の解説

印南野
いなみの

加古川下流域から明石川下流域にかけて広がる平野。現明石市・稲美いなみ町・播磨町・加古川市・高砂市にまたがる。海辺を古代の山陽道が通る。「万葉集」巻一に「香具山と耳梨山とあひし時立ちて見に来し印南国原」(天智天皇)が載る。神亀三年(七二六)九月二七日、聖武天皇の「播磨国印南野」への行幸のため、二七人の装束司と一八人の造頓宮司が任じられており、一〇月七日に天皇一行は出発、一〇日印南野邑美おうみ頓宮(現明石市)に到着、一九日難波なにわ(現大阪市)に帰り、二九日に平城宮に還幸した(続日本紀)

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改訂新版 世界大百科事典 「印南野」の意味・わかりやすい解説

印南野 (いなみの)

兵庫県南部,明石川,加古川,美囊(みのう)川に囲まれた三角形状の台地で,東西約20km,南北約15kmにわたって広がっている。〈いんなみの〉とも呼び,かつては伊奈美野稲日野とも書いた。播磨町の大中遺跡ほか弥生時代,古墳時代の遺跡が多い。地形的には海成段丘面で,低位の大久保台地と岩岡,母里,加古の高位台地に区分されるが,台地のまわりを流れる河川と急崖で隔てられているため水利が悪く,近世初期まで開発は行われなかった。《万葉集》に柿本人麻呂,山部赤人をはじめ多くの歌があるが,広漠たる未開の原野のさまをのべたものが多い。江戸時代に入って加古川,明石川の本支流の水を導く工事が行われたが,水利権の関係で秋冬の非灌漑期に引水して貯えるしくみのため溜池が多く築かれ,日本の代表的な溜池密集地域となった。明治以降,淡河川(おうごがわ)疎水(1891),山田川疎水(1919)が完成して台地の開発が進み播磨の穀倉地帯となった。最高時(1940年代)に溜池の数は大小合わせて130余といわれ,その面積は加古新村(現,稲美町)の例では耕地面積の25%以上を占めた。しかし最近は神戸都市化の影響で工場住宅団地の進出が多く,印南野に特徴的な溜池も姿を消しつつある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「印南野」の意味・わかりやすい解説

印南野
いなみの

兵庫県中南部、旧加古郡一帯の台地。東は明石(あかし)川、西は加古川、北は美嚢(みの)川で境し、南は播磨灘(はりまなだ)を望む、東西20キロメートル、南北10キロメートルの地域である。畿内(きない)の西の玄関口であり、『播磨国風土記(ふどき)』には印南野、『万葉集』には印南野、稲見野、稲日野(いなびの)として詠まれている。平安時代には禁野(きんや)であった。水利条件が悪く、江戸時代はワタ作を主としたが、明治前期に衰退した。1915年(大正4)の淡河(おうご)川・山田川疎水(そすい)の完成で水田化が進展した。大小無数の溜池(ためいけ)景観はみごとである。

[二木敏篤]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「印南野」の意味・わかりやすい解説

印南野
いなみの

明美台地ともいう。兵庫県南部,明石川と加古川およびその支流美嚢 (みの) 川に囲まれた三角状の台地。雌岡 (めこ) 山 (249m) ,雄岡 (おっこ) 山 (241m) などの秩父古生層の小丘のある西方の高位段丘面と,播磨灘沿岸に分布する中位段丘面とに分れる。末端は明石原人やマンモス化石の発見で有名になった比高約 10mの明石累層の海食崖で,播磨灘にのぞむ。水不足で開発が遅れ,河川からの揚水が可能になった江戸時代に水田化された。日本最大の灌漑用ため池密集地域で,県下の穀倉地帯の1つ。第2次世界大戦後は工業化が著しい。

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世界大百科事典(旧版)内の印南野の言及

【印南野】より

…最高時(1940年代)に溜池の数は大小合わせて130余といわれ,その面積は旧加古新村の例では耕地面積の25%以上を占めた。しかし最近は神戸の都市化の影響で工場や住宅団地の進出が多く,印南野に特徴的な溜池も姿を消しつつある。【小森 星児】。…

【播磨国】より

…1647年(正保4)には国高は1570ヵ村54.2万石,新田高1.2万石となった。それが1702年(元禄15)には1800ヵ村56.8万石となるが,この正保~元禄の間の石高増加で注目される点として印南野(いなみの)の開発がある。明石・加古両郡にまたがる広大なこの台地は,近世初頭に村は一つもなかったが,正保以後新田開発が進み,その西につづく印南郡と合わせると,ここだけで7900余石の新田が成立しているのである。…

【播磨平野】より

…地形は東部と西部でかなり異なる。加古川から明石川に至る東播地方は,六甲山地の隆起の影響を受けた印南野(いんなみの∥いなみの),青野ヶ原をはじめとする段丘地形が分布している。最高位の段丘は標高100m内外で,地形,堆積物,土壌などを指標に4面の段丘が識別されている。…

※「印南野」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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