日本歴史地名大系 「高畑村」の解説
高畑村
たかはたむら
米沢盆地の東端、
伊達氏天文の乱中の天文一六年(一五四七)閏七月二〇日、伊達晴宗は鎌田四郎兵衛に宛てた書状で、味方は高畠から
高畑村
たかはたむら
- 三重県:上野市
- 高畑村
観応二年(一三五一)四月一九日付の東大寺雑掌弘恵申状(東大寺文書)のなかに、高畠平六の名がみえる。また暦応三年(一三四〇)四月の伊賀国南北庄々悪党事事書大概土代(東大寺未成巻文書)に「名誉大悪党高畠右衛門太郎入道持法法名持法、改号道秀」と出て、「名誉大悪党」とよばれ、伊賀一円で活躍する人物は、嘉暦三年(一三二八)の東大寺満寺衆議事書条々(三国地志)には、服部右衛門太郎入道持法の名であらわれ、服部持法は高畠持法といったことがわかる。
高畑村
たかばたけむら
下石田村の東にある。
高畑村
たかばたけむら
- 埼玉県:浦和市
- 高畑村
高畑村
たかはたけむら
高畑村
たかはたむら
高畑村
たかはたむら
高畑村
たかはたむら
- 東京都:大田区
- 高畑村
高畑村
たかはたむら
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たかばたけむら
高畑村
たかはたむら
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たかはたむら
高畑村
たかはたむら
高畑村
たかはたけむら
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たかばたけむら
- 静岡県:浜北市
- 高畑村
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たかばたけむら
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たかばたむら
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たかはたむら
高畑村
たかばたけむら
- 埼玉県:川越市
- 高畑村
高畑村
たかはたむら
- 山口県:下関市
- 高畑村
豊浦藩明細書によれば、田畠総高は一八三石余、うち田五町余で一三七石余、畠六町余で四五石余、総家数は二四軒で、うち給人二〇軒、百姓四軒。
高畑村
たかばたけむら
高畑村
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高畑村
たかはたむら
高畑村
たかばたけむら
高畑村
たかばたむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報