唐沢俊樹(読み)カラサワ トシキ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「唐沢俊樹」の解説

唐沢 俊樹
カラサワ トシキ


肩書
衆院議員(自民党),法相

生年月日
明治24年2月10日

出生地
長野県

学歴
東京帝大法科大学政治学科〔大正4年〕卒

経歴
大正4年内務省に入り、3年間欧米留学。保安課長を経て、昭和6年和歌山県知事。7年本省土木局長、9年警保局長、11年2.26事件の責任をとって辞任。14年阿部信行内閣の法政局長官。15年貴族院議員。東亜研究所常務理事を経て18年内務次官。戦後公職追放、26年解除。27、28年の両選挙に出馬落選。30年ようやく当選(民主党)。32年岸信介内閣の法相。

受賞
勲一等瑞宝章〔昭和40年〕

没年月日
昭和42年3月14日

家族
二男=唐沢 俊二郎(衆院議員)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「唐沢俊樹」の解説

唐沢 俊樹
カラサワ トシキ

大正・昭和期の政治家,内務官僚 衆院議員(自民党);法相。



生年
明治24(1891)年2月10日

没年
昭和42(1967)年3月14日

出生地
長野県

学歴〔年〕
東京帝大法科大学政治学科〔大正4年〕卒

主な受賞名〔年〕
勲一等瑞宝章〔昭和40年〕

経歴
大正4年内務省に入り、3年間欧米留学。保安課長を経て、昭和6年和歌山県知事。7年本省土木局長、9年警保局長、11年2.26事件の責任をとって辞任。14年阿部信行内閣の法政局長官。15年貴族院議員。東亜研究所常務理事を経て18年内務次官。戦後公職追放、26年解除。27、28年の両選挙に出馬、落選。30年ようやく当選(民主党)。32年岸信介内閣の法相。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「唐沢俊樹」の解説

唐沢俊樹 からさわ-としき

1891-1967 大正-昭和時代官僚,政治家。
明治24年2月10日生まれ。内務省にはいり,土木局長,警保局長をへて昭和14年阿部内閣の法制局長官,15年貴族院議員となる。18年東条内閣の内務次官。戦後は,30年衆議院議員(当選4回,自民党),第1次岸内閣の法相をつとめた。昭和42年3月14日死去。76歳。長野県出身。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「唐沢俊樹」の解説

唐沢 俊樹 (からさわ としき)

生年月日:1891年2月10日
大正時代;昭和時代の政治家;内務官僚。衆議院議員(自民党);法務大臣
1967年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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