日本歴史地名大系 「唐通事会所跡」の解説 唐通事会所跡とうつうじかいしよあと 長崎県:長崎市長崎町本興善町唐通事会所跡[現在地名]長崎市興善町本興善(ほんこうぜん)町に置かれた唐通事役所の跡。通事と記し、阿蘭陀通詞と区別することが多い。通訳のみならず、貿易の枢機に参画する日本側役人であり、また海外情報の聴取や異文化の導入などでも重要な役割を担った。その役料は町年寄に次ぎ、唐貿易がオランダ貿易の約二倍近いため、唐通事のほうが重きをなしたとされる。唐通事は慶長八年(一六〇三)に長崎奉行が任命した馮六(平野氏の祖)以来、長崎在住の潁川・彭城・林・何・呉・陽・神代・東海ら四〇余姓すべてが有力明人とその後裔で、大明人意識をもっていたという。通訳のほか諸法令の伝達と執行、貿易品の評価や日本側役人としての取引折衝、外国人や出入り商人の管理・統制などにもあたる広い業務内容であった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by