日本歴史地名大系 「善応寺村」の解説 善応寺村ぜんおうじむら 愛媛県:北条市善応寺村[現在地名]北条市善応寺高縄(たかなわ)山のはるか西麓の村で、東・北・南の三方を山に囲まれた要害の地。山を雄甲(おんご)・雌甲(めんご)とよび中世の山城跡で、河野(こうの)郷土居館(どいのたち)を中心に発達した村。東は院内(いんない)・横谷(よこだに)、南は高山(こうやま)・佐古(さこ)、西は常保免(じようほうめん)・宮内(みやうち)、北は八反地(はつたんじ)・寺谷(てらだに)の村々と接する。慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の風早(かざはや)郡の項に「善応寺村 林少有」とみえ、村高は四六五石六斗四升五合、うち田方四二六石二斗二升五合、畑方三九石四斗二升とある。 善応寺村ぜんおうじむら 岡山県:赤磐郡山陽町善応寺村[現在地名]山陽町鴨前(かもさき)・山陽団地(さんようだんち)一―七丁目倉敷往来筋の村で熊崎(くまさき)村の北に位置する。中世に山城があったと伝える善応寺山東麓に集落がある。天正三年(一五七五)五月三日の額田辰千代宛浦上宗景安堵状(額田文書)に、鳥取(ととり)庄中村の付として善応寺がみえる。慶長一〇年(一六〇五)備前国高物成帳(備陽記)の葛木(かつらぎ)庄に善応寺が載る。「吉備温故秘録」は鳥取庄の村とする。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報