日本歴史地名大系 「善明寺村」の解説 善明寺村ぜんみようじむら 和歌山県:和歌山市河北地区善明寺村[現在地名]和歌山市善明寺名草(なくさ)郡に属し、大谷(おおたに)村の東に位置する。淡島街道(旧南海道)が東西に通る。北方は修験の行場としても知られる葛城(和泉)山脈で、村内にも役行者が定めたと伝える葛城二十八宿のうちの熊野権現社や観音堂があった。現在も通称楠見行者前(くすみぎようじやまえ)という地がある。地名は根来(ねごろ)寺(現那賀郡岩出町)の末寺の善明寺があったことによると伝える。同寺は天正一三年(一五八五)の豊臣秀吉の紀州平定の際焼亡したというが明証はなく、跡地も明らかでない。「宇野主水日記」同年三月二五日条には、稲葉貞通が「善明寺ト云坊主衆取次にて」本願寺に書状を送ったとあるが、当地との関連は不明である。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by