日本歴史地名大系 「嘉鉄村」の解説 嘉鉄村はてぃとぅむら 鹿児島県:大島郡喜界町嘉鉄村[現在地名]喜界町上嘉鉄(かみかてつ)手久津久(ていーどく)村の南東に位置し、南部は海に臨む。古くは「しつる村」とも称し、シツル崎がある。荒木(あらち)間切のうちで、ハティトゥという。琉球王国時代に設けられた崖墓は八基あり、石敢当(石碑)は二三体を数える。当初は海賊の襲来を避けて海岸から離れた丘陵上のエーバル、ウフドンムに島建てを行ったが、その恐れがなくなると現在地の方へ降りてきたという。正保琉球国絵図に「荒木間切しつる村」とみえるのが当村で、沿岸には「しつる崎」も記される。 嘉鉄村かていていむら 鹿児島県:大島郡瀬戸内町嘉鉄村[現在地名]瀬戸内町嘉鉄(かてつ)清水(すいす)村の東に位置し、集落は瀬戸内に臨む。東(ひぎや)間切東方のうち。カデエチともいう。慶長一四年(一六〇九)島津氏の軍勢が大島南部に進攻した際は当地に上陸したと伝える。正保琉球国絵図に村名の記載はないが、浜方に「みんせのはな」「御神瀬」がみえる。元禄四年(一六九一)頃に赴任した大島付役の帖佐七郎兵衛は当村に詰めている(大島代官記)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by