日本歴史地名大系 「四ッ屋川原村」の解説 四ッ屋川原村よつやかわらむら 富山県:高岡市旧射水郡小矢部川右岸地区四ッ屋川原村[現在地名]高岡市四屋(よつや)・内免(ないめん)一丁目・同四―五丁目・本郷(ほんごう)一丁目・上四屋(かみよつや)小矢部川と千保(せんぼ)川に挟まれ、長慶寺(ちようけいじ)村の南方に位置。村名は川原に初め四軒の家があったことによるという。明応八年(一四九九)四月日神保長誠が向河原(むかいかわら)の西念(さいねん)寺に禁制を掲げており、神保氏の支配領域の西の境界であるとともに、当時の射水郡と礪波(となみ)郡の境でもあった(「神保長誠禁制」西念寺文書)。天正一〇年(一五八二)四屋河原と横田は佐々成政により諏訪三郎兵衛の知行地となった(「知行宛行状」佐野家文書)。文禄五年(一五九六)本願寺准如は「射水郡横田之内羽岡・河原村講衆中」に、銀子一〇両の請取消息を出している(「准如上人文案」西本願寺蔵)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by