四ッ塚村(読み)よつづかむら

日本歴史地名大系 「四ッ塚村」の解説

四ッ塚村
よつづかむら

[現在地名]長浜市四ッ塚町

平方ひらかた村の東、かつ村の西にある。村名は四つの塚があったからという(坂田郡志)。応永二六年(一四一九)大原おおはら観音寺(現坂田郡山東町)本堂建立奉加帳(坂田郡志)に村名四塚と、僧坊として南坊・東坊・西坊それぞれ五〇〇文とみえる。寛永石高帳に高一七五石余とあり、彦根藩領。寛文四年(一六六四)の彦根領分高帳(間塚文書)によると定免で四ツ五分。元禄八年大洞弁天寄進帳によれば、男二三・女二六。

四ッ塚村
よつづかむら

[現在地名]黒部市沓掛くつかけ

植木うえき村の北の一隅にあり、北は沓懸くつかけ村。慶安三年(一六五〇)四ッ塚野という所を新開したので四ッ塚村と称した(「新川郡村名由来」加越能文庫)。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では草高二石、免三ツ三歩(三箇国高物成帳)。延享元年(一七四四)から四度の手上高があり、天保一一年(一八四〇)の草高四石余(「高免帳」杉木家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android