デジタル大辞泉 「四十にして惑わず」の意味・読み・例文・類語 四十しじゅうにして惑まどわず 《「論語」為政から》人は40歳になれば、道理を知って迷わない。→不惑ふわく 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
精選版 日本国語大辞典 「四十にして惑わず」の意味・読み・例文・類語 しじゅう【四十】 に して惑(まど)わず ( 「論語‐為政」の「子曰、吾十有五而志二于学一、三十而立、四十而不レ惑」から ) 人は四〇歳になっては、道理を明らかにし、物事に惑うことがない。〔文明本節用集(室町中)〕 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
故事成語を知る辞典 「四十にして惑わず」の解説 四十にして惑わず 人間は、四〇歳にもなれば、惑うことがなくなるものだ、ということ。 [使用例] 四十にして惑わずという言葉あれどその頃三十六、七歳、そろそろ分別盛りでありながら我武者らで[岡本文弥*こちよれまくら|1982] [由来] 「論語―為政」に見える、孔子のことば。この章は、「十有五にして学を志す」、「三十にして立つ」と始まり、以下、「五十にして天命を知る」、「六十にして耳順う」、「七十にして己の欲する所に従えども矩のりを踰こえず」(七十にして矩を踰えず)と続いています。 [解説] このことばから、四〇歳のことを「不惑」と呼ぶようになりました。 出典 故事成語を知る辞典故事成語を知る辞典について 情報