四塚
よつづか
[現在地名]南区四ッ塚町
平安京の中心を南北に走る朱雀大路(現千本通)の南末、九条大路に設けられていた羅城門旧跡付近の地名。鳥羽作道(鳥羽街道)から京中への出入口にあたり、交通の要衝であった。このため戦乱に際しては、攻防の一拠点となることも多く、「平家物語」(樋口被討罰・一門大路渡の段など)に散見され、「太平記」の「隆資卿自
八幡
被
寄事」には、四条隆資の軍勢が東寺に進撃した際の記事として「寄手ノ足軽共、鳥羽田ノ面ノ畔ヲツタヒ、四塚・羅精門ノクロノ上ニ立渡リ、散々ニ射ケル間、作道マデ打出タリケル」と記される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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