四平山石塚(読み)しへいざんいしづか(その他表記)Si-ping-shan

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「四平山石塚」の意味・わかりやすい解説

四平山石塚
しへいざんいしづか
Si-ping-shan

中国遼寧省営城子近くの丘陵の尾根上にあり,竪穴式石室主体とする方形積石塚の集合墓地。 1941年の調査により,内部からは山東河南などの黒陶と同一のものが発見され,この地方における竜山文化の存在を明らかにした。同時に,玉器石器白陶も発見されている。

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世界大百科事典(旧版)内の四平山石塚の言及

【四平山遺跡】より

…1941年に日本学術振興会によって発掘された。遼東半島の先端の黄竜尾半島の渤海に面する四平山(192m)の南北2峰の稜線上に分布する積石塚群で四平山石塚ともよばれる。その中の22基の石塚が調査された。…

※「四平山石塚」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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