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竜山文化 りゅうざんぶんかLong-shan culture

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

竜山文化
りゅうざんぶんか
Long-shan culture

中国で仰韶文化の次に現れる新石器時代末期の文化。山東省歴城県竜山鎮城子崖の調査により初めて学界に知られたのでこの名がある。解放後の調査によって,竜山文化は廟底溝第2期文化,陝西竜山文化河南竜山文化山東竜山文化 (典型的竜山文化) の4つの文化に分類されている。廟底溝第2期文化は竜山文化中で最も古く,河南竜山文化,陝西竜山文化がこれに続く。従来山東地方で発見されていた黒陶を主体とする文化は山東竜山文化にあたる。これらの各種の竜山文化は黄河中流域から遼東半島,揚子江下流地方にまで分布する。土器は粗灰陶を主体として黒陶も多く含まれ,石刀や石斧などの石器や,骨角器も発見される。生産形態は農耕と牧畜の併用で,一般に階級差の未発達な段階である。

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百科事典マイペディアの解説

竜山文化【りゅうざんぶんか】

中国読みはロンシャン文化。中国の新石器時代後期の文化。山東省竜山鎮の城子崖遺跡から発見されたためこの名があり,黒陶を特徴とするため黒陶文化と呼ぶこともある。仰韶(ぎょうしょう)文化から生れたものとされ,生活は農耕と牧畜を主とし,農耕技術の発達が著しい。
→関連項目石庖丁仰韶遺跡屈家嶺遺跡沙苑文化大【ぶん】口文化鄭州遺跡廟底溝遺跡

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世界大百科事典 第2版の解説

りゅうざんぶんか【竜山文化 Lóng shān wén huà】

中国,黄河中下流域の新石器時代後半期の文化。初め,山東省歴城県竜山鎮城子崖の発掘によって得た黒陶を特徴とする文化とされたが,新中国建設後の黄河中流の調査によって2系統の竜山文化があることがわかり,以後山東省のそれは山東竜山文化,または典型竜山文化と称されるようになった。 黄河中流の竜山文化は陝西,河南,山西南部,河北南部,安徽北西部に広がり,仰韶(ぎようしよう)文化より興ったものである。前後の2段階に分かれ,前段階は河南省陝県廟底溝第2期文化に代表される。

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大辞林 第三版の解説

りゅうざんぶんか【竜山文化】

中国、新石器時代後期に黄河の下・中流域に栄えた文化。黒陶が特色で、麦・粟を主とする農耕や、牧畜・採集・狩猟が行われた。山東省歴城県竜山鎮の城子崖が代表遺跡。ロンシャン文化。 → 仰韶ぎようしよう文化

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

竜山文化
りゅうざんぶんか

中国の黄河中・下流域で仰韶(ぎょうしょう)文化に次いで興った新石器時代晩期の農耕文化。中国読みでロンシャン文化ともいう。1930~31年に李済(りさい)、梁思永(りょうしえい)らによって山東省歴城県竜山鎮の城子崖(じょうしがい)遺跡が調査されたとき、上下二層ある文化層のうちの下層から多数の石器、貝器、骨角器とともに黒色磨研の土器(黒陶(こくとう))が発見され、黄河流域の重要な先史土器として注目された。竜山文化の名はこの遺跡名に由来する。その後、河南省安陽県後岡(こうこう)遺跡において、仰韶文化層の上に竜山文化層、そしてその上に殷(いん)代の文化層の層序関係が発見され、この文化の編年的位置が定まった。さらに1950年代に河南省陝(せん)県廟底溝(びょうていこう)遺跡の調査において、下層の仰韶文化層のすぐ上の層が仰韶文化から竜山文化への過渡的性格のものであることから、竜山文化が仰韶文化から連続発展したものであることが確かめられた。
 竜山文化の広がりは仰韶文化よりもはるかに広く、しかも各地域ごとに特徴をもって成長して著しい地域差を示している。したがって竜山文化は、早期の廟底溝第二期文化、河南竜山文化(後岡第二期文化)、陝西(せんせい)省竜山文化(客省荘第二期文化)、山東竜山文化の四類型がある。さらにまた、周辺部にも大きな影響を与え、北は渤海(ぼっかい)を隔てて遼東(りょうとう)半島に伝わり、西北にも伝わって斉家(せいか)文化を生み出した。揚子江(ようすこう)流域の良渚(りょうしょ)文化もその例である。竜山文化の特徴は、土器製作にろくろを使って緻密(ちみつ)で堅く卵殻のように薄い黒陶がつくられたことである。黒陶の器形には鼎(かなえ)、鬲(れき)(か)(げん)(き)などの三足器があり、こののちずっと続く中国の陶器や青銅器の基本的な器形がだいたい出そろっている。住居は竪穴(たてあな)式のものであるが、床面に石灰を塗り固めるものが盛行した。磨製石器は一段と精巧なものとなり、石や貝製の鎌(かま)、骨製の鋤(すき)、木製の鋤(耒(らい))など新しい農具が登場し、農業経済は著しい発展を遂げた。さらに動物の骨を焼いて吉凶を占う卜骨(ぼっこつ)の風習が始まった。すでに青銅製品が登場していることや土器製作の専業化など、生産の各分野における著しい技術的な発達は、古い生産関係を打破して高文明の生まれる諸条件を整え、やがて夏(か)王朝を生み出す母体となった。したがって竜山文化は、その後ずっと繁栄してゆく中国文明の母体ともいいうる黄河文明の中核をなしているのである。C‐14による年代は紀元前2500年から前1700年を示している。[横田禎昭]

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世界大百科事典内の竜山文化の言及

【黒陶】より

…広義には土器の表面が黒色を呈するものの総称で,新石器時代の各時代にある。狭義には炭素を吸着させた黒色の土器をさし,主として,ろくろによってつくる竜山文化の黒陶をいう。かつて,中原地方の仰韶文化を代表する彩陶に対して,山東地方の竜山文化を代表する黒陶という認識から竜山文化を黒陶文化とよんだこともある。…

【山東[省]】より

…このように,地勢や気候からみて,山東は華北平原のなかで最も安定した自然条件をもつ地域であるといえよう。
【斉魯文化】

[大汶口文化と竜山文化]
 新石器時代,黄河中下流域には多様な文明が形成されたが,山東では約5000年前,大汶口(だいぶんこう)文化(泰安県大汶口遺跡を代表遺跡とする)と呼ばれる進んだ文化が,ほぼ山東全域に広がっていた。この文化は,同時期に西の中原地方にみられる仰韶文化とはやや性格を異にし,むしろ江南地方から淮河(わいが)下流域にみられる青蓮崗文化と共通するところが多く,山東より沿海に長江(揚子江)下流域まで続く,一連の文化が形成されていたと考えられる。…

【城子崖遺跡】より

…1930年に李済,董作賓,郭宝鈞,呉金鼎らが山東古蹟研究会を創設し,30,31年に発掘を行った。当時,仰韶(ぎようしよう)文化と安陽殷墟の空白を埋める遺跡として注目され,竜山文化の名称のおこりとなった。遺跡は上・下2層からなり,上層は灰陶や窯址を出土する戦国時代の文化層で,下層が黒陶を特徴とする竜山文化の層である。…

【青銅器】より

…【中村 友博】
【中国】
 中国で現在,青銅製の道具や容器の鋳造が確実に知られているのは河南省堰師(えんし)の二里頭文化(前1900~前1500ころ)の後半期からである(二里頭遺跡)。これより時代のさかのぼる竜山文化(前3千年紀後期から前2千年紀初め)ないしそれと並行する文化のいくつかの遺跡から出土した,合金にしない銅の製品が以前より若干知られていた。竜山文化に並行する甘粛省の斉家文化遺跡(斉家坪遺跡)から銅製の道具,装飾品などが発見されるのは顕著な例である。…

【廟底溝遺跡】より

…1953年に発見され,56,57年に黄河水庫考古工作隊が調査。遺跡は黄河支流の青竜澗の南岸台地にあり,仰韶文化(廟底溝第1期文化),仰韶文化から竜山文化への過渡期(廟底溝第2期文化),河南竜山文化,東周時代の4期の文化層が確認され,竜山文化が仰韶文化から派生したものであることが,初めて証明された。仰韶文化は廟底溝類型と呼ばれ,方形の竪穴式住居址,貯蔵穴,墓葬が発見されている。…

※「竜山文化」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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