日本歴史地名大系 「四方浄村」の解説 四方浄村しほうじようむら 静岡県:引佐郡引佐町四方浄村[現在地名]引佐町四方浄都田(みやこだ)川(久留女木川)の支流獺淵(おそぶち)川の中流に位置し、東は別所(べつしよ)村。元和元年(一六一五)には高二八石、田二町一反余・畑四反余(龍潭寺文書)。正保郷帳では田方二五石余・畑方三石余、旗本金指近藤領。領主は変化なく幕末に至る。なお天保一一年(一八四〇)には本高三三石余・新高三五石余、家数二三(山本家文書)。宝永四年(一七〇七)から本坂通気賀(けが)宿(現細江町)の助郷を勤めた(龍潭寺文書)。地内中央に旧真言宗般若(はんにや)院(現在は地区管理)があり、行基開創伝説を伝える。元禄一〇年(一六九七)行基の御影堂を復興するため修験者般若院が建立したという(般若院文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by