国付村(読み)くにつきむら

日本歴史地名大系 「国付村」の解説

国付村
くにつきむら

[現在地名]豊田市国附くにつき

市域内では、矢作川の最上流部に位置する。西部の標高一三七メートル以下の平頂丘陵面は、矢作川本流に沿う挙母ころも面の分布の上限にあたり、挙母面のおりなす扇状地の扇頂部をなす。名古屋から伊那谷に通ずる中馬街道筋にある。近世初めは幕府領、寛永郷帳時には岡崎藩領で、慶安四年(一六五一)から明治に至るまで旗本石川備中守知行所支配である。寛永六年(一六二九)には検地水帳が作成されている。天保一五年(一八四四)から始まる足助あすけ問屋と馬稼人との荷ノ口論争(東加茂郡の→足助村で、市域内で最後まで紛争を続ける一五ヵ村の中に含まれている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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