日本歴史地名大系 「国分城跡」の解説 国分城跡こくぶじようあと 愛媛県:今治市古国分村国分城跡[現在地名]今治市古国分国分山の山頂一〇五・三メートルにあり国府(こくふ)城ともいう。同山は唐子(からこ)山とも天子(てんし)山ともよばれている。城主は村上武吉・福島正則・池田秀雄・小川祐忠・藤堂高虎と交代したが、戦国末期から近世初頭にかけて東予・中予支配の拠点であった。武吉(武慶)は海賊の領袖能島村上氏で、代々能島(のしま)城主であったが、強大化するにつれて勢力圏も広がり、戦国末期には越智(おち)郡の陸地部にも進出してきていたものと思われる。天正初年の武吉は、毛利氏に属して摂津・播磨・豊後と転戦して武功をあげた。天正一三年(一五八五)の豊臣秀吉の四国征伐後は周防屋代(やしろ)島に移り、同一五年、小早川隆景の筑前転封に従った。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報