朝日日本歴史人物事典 「村上武吉」の解説
村上武吉
生年:天文1(1532)
戦国時代の海賊衆。義忠の子。掃部頭,のちに大和守を名乗る。伊予国(愛媛県)越智郡能島(宮窪町)を本拠とし能島村上氏と呼ばれる。同国同郡来島(今治市)を本拠とする来島村上氏,備後国御調郡因島(広島県因島市)を本拠とする因島村上氏と共に三島村上氏とも称せられる。最盛期の勢力は芸予諸島(広島県,愛媛県)を中心に,防予諸島(山口県,愛媛県),塩飽諸島(香川県),周防国上関(山口県熊毛郡上関町),備中国笠岡(岡山県笠岡市)などにもおよんだ。武吉は嫡流の義益と争って家督を継承したと伝えられる。伊予国の大名河野氏に臣従する姿勢をとりながらも完全には家臣化せず,その行動には独自性が強くみられた。一時は大内氏,大友氏とも結ぶが,毛利元就が陶晴賢を破った厳島合戦(1555)では陶方の軍船を撃破し,毛利氏の勝利に貢献,以後つながりを強めた。天正13(1585)年河野氏滅亡後は,小早川隆景の家臣団に入る。しかし同16年,豊臣秀吉により海賊禁止令が出されたのちは不遇で,各地を転々とし,晩年は周防大島(山口県大島郡)に隠棲した。子孫は毛利藩船手衆として重きをなし,本拠能島には今なお曲輪跡や桟橋の跡と思われる柱穴が残り,海賊城の面影をとどめている。<参考文献>『屋代島村上文書』(山口県文書館蔵)
(山内譲)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報