国東郡(読み)くにさきぐん

日本歴史地名大系 「国東郡」の解説

国東郡
くにさきぐん

かつての豊後国北東部に位置し、瀬戸内海に突き出たような国東半島のほぼ全域を占めた。北方は周防灘、東方は豊後水道、南方は別府湾に面し、南西は速見郡、北西は豊前国宇佐郡と接していた。現在の西国東郡・豊後高田市・東国東郡のほぼ全域と杵築市の一部にあたる。古代は国前・碕・国埼・国崎、中世は国埼・国崎・国東の表記がみられ、近世以降は国東の用字が多い。「和名抄」では「君佐木」と訓じ、正保郷帳元禄郷帳では「くにざき」と読んでいる。国東半島は両子ふたご(七二〇・八メートル)を中心とするコニーデ式火山からなる。河川の水源もすべて同山塊から発しており、これらの河川は放射状の谷をつくりながら海岸に至る。谷間のわずかの土地が農地で、河口部を中心に海岸には多くの良港が発達した。半島中央部は溶岩による奇岩や奇峰、または洞窟が多くあり、古代から修験者の道場として利用され、六郷山仏教文化の花が開いた。

〔原始〕

当郡は律令時代の郷でみれば、周防灘から別府湾に沿って来縄くなわ伊美いみ・国東(国前)武蔵むさし安岐あき(阿岐)の各郷が並び、内陸に田染たしぶ郷が位置する。これら六郷が一つの郡に編成されたわけであるが、地形的にみると来縄・伊美両郷にあたる北西部と国東郷以下の東部との間は陸路往来の便は必ずしも良好とはいえず、二つの地域に隔絶した感は否めない。こうした事情は遺跡の分布と性格にも反映している。まず東部からみてみる。旧石器時代の遺跡としては安岐町伊予野原いよのはる遺跡で国府型ナイフ形石器が発見されている。同遺跡からは縄文時代早期の土器とともに多数の集石遺構が検出されている。縄文時代前期では国東町羽田はだ遺跡でひめ島産黒曜石の大きな礫石が多量出土し、石器原石の中継基地として注目された。同遺跡では縄文時代後期のものであるが蛇をかたどった把手をもつ土器も出土している。弥生時代の遺跡も注目すべきものが多い。東部では半島中央から田深たぶか川・安岐川などの大小河川が放射状に流れて別府湾に注ぎ、同時代の遺跡はこれらの河川の比較的峡隘な沖積地と、これに面する台地に分布する。豊富な木器と水田遺構で知られる国東町安国寺あんこくじ遺跡は沖積地の遺跡の代表例であり、武蔵町熊尾くまお遺跡は中期・後期の台地遺跡の代表例である。ここでも姫島産黒曜石の石核と剥片が多量に出土している。古墳時代についてはまず安岐町安岐城跡内で発見された下原しもばる古墳が注目される。周溝内より出土した土器により三世紀末を下らない前方後円墳であることが判明、形態はいわゆる纏向型古墳と称されるもので、定型化する以前の前方後円墳の一つである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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