国頭間切(読み)くんじやんまぎり

日本歴史地名大系 「国頭間切」の解説

国頭間切
くんじやんまぎり

沖縄島の最北部に位置し、国頭方に属する。現在の国頭村にあたる。東と北は太平洋、西は東シナ海に臨み、南は大宜味いぎみ間切・久志くし間切に接する。首里から国頭間切番所のあるはま村までの距離二二里三五町余(里積記)。「球陽」「琉球国旧記」などには国頭郡・国頭県ともみえる。万暦一五年(一五八七)二月一二日の安田よんたもさ掟知行安堵辞令書(沖縄県国頭郡志)に「くにかみまきりのあた」とみえ、当時国頭間切安田あだが存在していたことが知られ、同辞令書は首里王府から安田よんたもさ掟に送られたものであった。正保国絵図では「国頭間切くにかみまきり」の高一千二九石余。絵図郷村帳では渡野喜屋とうぬじやー村・田湊たんな村・前田めーだ村・屋古やふ村・塩屋さー村・根路銘にみ村・饒波ぬーは村・喜如嘉きじやは村・根謝銘いんじやみ村・ぐしく村・屋嘉比やはび(現大宜味村)浜村比地ふいじ村・奥間うくま村・辺土名ふいんとな村・宇良うら村・伊地いじ村・与那ゆな村・謝敷じえーき村・佐手さてい村・辺野喜びぬち村・宇嘉うか村・辺戸ふいる村・うく村・安田あだ村・安波あふあ村、および「当時無之」と注記される「とへざ村」「いたばか(村か)」「きにやま村」「そせ村」の三〇ヵ村で構成されている。琉球国高究帳では一七の村名がみえ、合高一千二九石余(田八六〇石余・畠一六九石余)。寛文八年(一六六八)の琉球国郷帳では「とのきや村・あは村・さて村・あた村・おく村・やと村」が記され、田八六〇石余・畠一三五石余・桑役三三石余。

康熙一二年(一六七三)前記の現大宜味おおぎみ村の一一ヵ村がこのとき新設された田港たんな間切(田湊間切)の所属に変更された(「球陽」尚貞王五年条など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android