改訂新版 世界大百科事典 「土佐広周」の意味・わかりやすい解説
土佐広周 (とさひろかね)
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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(相澤正彦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
…絵所預行秀の活躍期に,行広は足利義満や義持の肖像画を制作して幕府の絵師らしく行動し,のちに後崇光院,後花園天皇のサロンで絵巻を描いた。この行広と酷似した環境で活躍した画家に土佐広周(ひろかね)がいる。広周は1439年(永享11)に後小松院忌本尊の制作で記録にあらわれ,79年(文明11)《明恵上人絵巻》を土佐行定と合作,以後《土佐文書》によって87年(長享1)まで室町幕府から所領を得ていたことが知られる。…
※「土佐広周」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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