デジタル大辞泉
                            「土佐行広」の意味・読み・例文・類語
                    
                
		
    
        
    出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
	
    
  
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                    とさ‐ゆきひろ【土佐行広】
        
              
                        - 室町前期の大和絵画家。宮廷の絵所の絵師。姓は藤原。入道して経光と号した。応永一三年(一四〇六)土佐将監となる。「土佐」を名のる最初の画人。応永二一年(一四一四)の「融通念仏縁起絵巻」(清涼寺蔵)の筆者の一人。生没年未詳。
 
    
        
    出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
	
    
  
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                    土佐行広 とさ-ゆきひろ
        
              
                        ?-? 室町時代の画家。
「融通念仏縁起絵巻」では藤原行広の名でみえる。「教言卿記(たかとききょうき)」応永13年(1406)の条にみえる土佐将監(しょうげん)が,土佐の家号使用を確認できる最初の例である。「足利義満画像」「満済准后(まんさいじゅごう)画像」などの作者とされる。従五位上,土佐守。法名は経光。
                                                          
     
    
        
    出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
	
    
  
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		世界大百科事典(旧版)内の土佐行広の言及
    		
      【土佐派】より
        
          
      …室町初期から幕末にいたるまで,おもに宮廷の[絵所]を拠点として日本の伝統的な絵画様式を継承・保持した画派。1414年(応永21)に描かれた京都清凉寺の《融通念仏縁起絵巻》に,各場面を分担制作した6人の画家名が記されるが,そのなかに〈土佐〉と呼ばれた2人の画家,行広と行秀の名が知られる。行広は《教言(のりとき)卿記》応永13年(1406)10月29日条に土佐将監と記され,《足利義満像》を描いたのをはじめ1443年(嘉吉3)まで活躍し,経光と号した。…
      
     
         ※「土佐行広」について言及している用語解説の一部を掲載しています。 
        
    出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
	
    
  
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