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土佐行広 トサユキヒロ

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デジタル大辞泉の解説

とさ‐ゆきひろ【土佐行広】

室町前期の画家。姓は藤原。宮廷絵所の絵師。応永13年(1406)土佐将監の記録が残り、土佐派を名のった最初の画人とされる。作「融通念仏縁起絵巻」など。生没年未詳。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

土佐行広 とさ-ゆきひろ

?-? 室町時代の画家。
「融通念仏縁起絵巻」では藤原行広の名でみえる。「教言卿記(たかとききょうき)」応永13年(1406)の条にみえる土佐将監(しょうげん)が,土佐の家号使用を確認できる最初の例である。「足利義満画像」「満済准后(まんさいじゅごう)画像」などの作者とされる。従五位上,土佐守。法名は経光。

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朝日日本歴史人物事典の解説

土佐行広

生年:生没年不詳
室町初期の土佐派の絵師。土佐広周の父。将監 に任官。南北朝期半ばに興隆したやまと絵の流派土佐派の絵師のなかで,初めて土佐姓を称した。記録では応永13(1406)年から宝徳3(1451)年の在世が確認でき,永享1(1429)年には入道して経光を称した。宮廷,院,幕府で広範な画作に従事するが,宮廷の絵所職についたかは不明。代表作には清凉寺「融通念仏縁起絵巻」(1417頃)の一部がある。肖像画にも長じ,「足利義持像」(1428),「山科教言室像」(1406)制作の記録があり,京都鹿苑寺「足利義満像」(1408,現存),三宝院「満済准后像」(1434,現存)などが彼の筆とみなされている。明るい彩色や平俗で柔らかな姿態の人物表現によるほのぼのとした柔和さが特徴で,室町やまと絵様式の一典型を創った。その様式による現存作品として京都妙心寺春浦院「福富草子絵巻」,「十二類合戦絵巻」(個人蔵)などがある。<参考文献>谷信一「土佐行広考」(『美術研究』127号)

(相澤正彦)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の土佐行広の言及

【土佐派】より

…室町初期から幕末にいたるまで,おもに宮廷の絵所を拠点として日本の伝統的な絵画様式を継承・保持した画派。1414年(応永21)に描かれた京都清凉寺の《融通念仏縁起絵巻》に,各場面を分担制作した6人の画家名が記されるが,そのなかに〈土佐〉と呼ばれた2人の画家,行広と行秀の名が知られる。行広は《教言(のりとき)卿記》応永13年(1406)10月29日条に土佐将監と記され,《足利義満像》を描いたのをはじめ1443年(嘉吉3)まで活躍し,経光と号した。…

※「土佐行広」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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