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土佐光起 とさ みつおき

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美術人名辞典の解説

土佐光起

江戸前期の土佐派の画家。和泉堺生。光則の子。幼名は藤満。絵所預となり光元以来中絶していた土佐家の絵所を再興する。光長・光信と併せて土佐三筆と称される。元禄4年(1691)歿、75才。

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デジタル大辞泉の解説

とさ‐みつおき【土佐光起】

[1617~1691]江戸前期の画家。堺の人。光則の子。承応3年(1654)室町末期以来とだえていた宮廷の絵所預となり、土佐家を再興、江戸時代の土佐様式をつくりあげた。のち剃髪して常昭と号し、法眼(ほうげん)にまで進んだ。

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百科事典マイペディアの解説

土佐光起【とさみつおき】

江戸初期の画家。父光則とともに堺から上洛し,父没後,伝統的な土佐派の手法に狩野派の要素を加え,また宋元院体画を学んで,時流に沿った新しい様式を創始。1654年長く中絶していた宮廷絵所預(えどころあずかり)の職につき土佐家を再興したが,1681年職を子の光成に譲って剃髪(ていはつ),初め法橋,のち法眼に叙せられた。
→関連項目吃又

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

土佐光起 とさ-みつおき

1617-1691 江戸時代前期の画家。
元和(げんな)3年10月23日生まれ。土佐光則(みつのり)の子。寛永11年生地の和泉(いずみ)(大阪府)堺から京都に移住。承応(じょうおう)3年絵所預(えどころあずかり)の職につき,土佐家再興をはたす。中国宋(そう)代の院体花鳥画をまなび,狩野(かのう)派の様式もとりいれ,あたらしい土佐派の画風をつくりあげた。法眼。法名は常昭。元禄(げんろく)4年9月25日死去。75歳。作品に「粟穂鶉図屏風(あわほうずらずびょうぶ)」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

土佐光起

没年:元禄4.9.25(1691.11.14)
生年:元和3.10.23(1617.11.21)
江戸初期の土佐派の画家。土佐派中興の祖。土佐光則の子として堺に生まれる。幼名藤満丸。寛永11(1634)年父光則に従って京都に移住。承応3(1654)年3月10日,38歳のとき,従五位下,左近衛将監に叙任され,永禄12(1569)年,土佐光元が没して以来久しく失われていた宮廷の絵所預となり,父光則の宿願でもあった土佐家再興を果たした。同時に剃髪して,常昭と号した。こののち延宝9(1681)年法橋。次いで貞享2(1685)年には法眼に叙せられた。この間,承応度内裏造営に伴う障壁画制作をはじめ,宮中の絵事御用を勤めた。李安忠らの院体花鳥画に学んだ精緻な「鶉図」を得意とし,さらに狩野派の画法もとり入れて絵巻や屏風,掛幅にと幅広く活躍した。代表作に「粟穂鶉図屏風」(個人蔵),「大寺縁起絵巻」(1690,堺・開口神社蔵),「北野天神縁起絵巻」(京都・北野天満宮蔵)などがある。また『本朝画法大伝』を著し,土佐派の画法を体系化した。<参考文献>大村西崖編『東洋美術大観』5巻

(榊原悟)

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世界大百科事典 第2版の解説

とさみつおき【土佐光起】

1617‐91(元和3‐元禄4)
江戸前期の画家。父は《源氏物語画帖》などを描いた光則。1654年(承応3),38歳のとき左近将監に任ぜられ,室町時代最末期に廃絶した土佐派を再興し,宮廷の絵所預となった。また,この年の内裏造営に加わって障壁画を描き,京都の公家社会と画壇に復帰して多年の宿望を果たした。やがて光起は絵所預の地位を子の光成(1646‐1710)にゆずり,81年(天和1)に常昭と号して法橋,85年(貞享2)には法眼に叙せられた。

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大辞林 第三版の解説

とさみつおき【土佐光起】

1617~1691) 江戸前期の大和絵画家。土佐光則の子。和泉国の人。室町末期以来中断していた宮廷の絵所を復活し、絵所預りとして活躍。伝統的な大和絵の手法に漢画を取り入れ、土佐派再興の基礎を築く。代表作「鶉薄図」「厳島松島図屛風」

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

土佐光起
とさみつおき

[生]元和3(1617).10.23. 堺
[没]元禄4(1691).9.25. 京都
江戸時代初期の画家。土佐光則の子。寛永 11 (1634) 年,父光則と堺から京都へ移住。承応3 (54) 年に久しく絶えていた宮廷の絵所預に任じられて土佐家を再興し,内裏の障壁画制作にも参加。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

土佐光起
とさみつおき
(1617―1691)

江戸前期の大和絵(やまとえ)画家。光則(みつのり)の子。堺(さかい)に住していたが、1634年(寛永11)父とともに京都に移住。54年(承応3)には宮廷絵所預(えどころあずかり)に任じられ、内裏(だいり)の障壁画を描くなど、宮廷や公家(くげ)のために作画活動を行い、室町末以来衰退していた土佐派を復興した。剃髪(ていはつ)し常昭(じょうしょう)と号す。81年(延宝9)絵所預の地位を子の光成(みつなり)に譲ったが、85年(貞享2)にはついに法眼(ほうげん)にまで叙せられる。光起は伝統的な土佐派の画風に、漢画や宋(そう)の院体画の要素も取り入れて、江戸時代にふさわしい瀟洒(しょうしゃ)な作品を残した。遺品には『厳島(いつくしま)・松島図屏風(びょうぶ)』(徳川家)、『源氏物語図屏風』(東京国立博物館)、『粟穂鶉(あわほうずら)図屏風』(同)などがある。また『本朝画法大伝』を著している。[加藤悦子]

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世界大百科事典内の土佐光起の言及

【土佐派】より

…この活況を呈した桃山画壇で,光茂の門人の中から土佐光吉が泉州堺でようやく土佐派の細画様式のみを維持して光則や広通に伝授し,他に土佐宗己(そうき)が絵屋(えや)を創立したことが知られるにすぎない。やがて,1634年(寛永11)に土佐光則と門人の広通は堺から京都に進出し,光則の子の土佐光起が宮廷の絵所預となって念願の土佐派を再興し,広通は晩年に住吉派を興して子の広澄に託した。光起による再興土佐派は,光成,光祐,光芳と続いて,光芳の子光淳と光貞の時期に2家に分かれ,幕末にいたるまで両家が絵所預の命脈を保った。…

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