土子金四郎(読み)ツチコ キンシロウ

20世紀日本人名事典 「土子金四郎」の解説

土子 金四郎
ツチコ キンシロウ

明治・大正期の経済学者,実業家 横浜火災海上運送信用保険会社副社長;東京高商教授。



生年
元治1年4月13日(1864年)

没年
大正6(1917)年5月1日

出生地
江戸

学歴〔年〕
東京大学文学部政治理財科〔明治17年〕卒

学位〔年〕
法学博士〔明治41年〕

経歴
大蔵省出仕し、ついで東京高等商業学校教授となり、傍ら東京専門学校、専修学校陸軍経理学校海軍経理学校などで経済学を教授する。22年米国に留学ニューヨーク外国銀行で銀行実務を研究。24年帰国、日本銀行に入り、ついで横浜正金銀行ロンドン支店副長となり、30年横浜火災海上運送信用保険会社を創設して副社長に就任。43年以来諸保険会社の重役を務めたが、大正3年病気のため辞す。また国家学会の運営にも尽力した。著書に「経済学大意」「銀行実務誌―銀行実践」「外国為替詳解」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「土子金四郎」の解説

土子金四郎

没年:大正6.5.1(1917)
生年:元治1.4.13(1864.5.18)
明治期の経済学者,実業家。旧幕臣土子豊憲の次男。江戸生まれ。東大文学部政治理財科を明治17(1884)年に卒業し大蔵省に出仕,次いで東京高等商業学校教授となる。経済学研究のため22年に欧米に留学,24年に帰国するや日本銀行,横浜正金銀行に勤務。30年以降,自らの学問を生かすべく横浜火災海上運送,横浜生命保険の創立に参画し重役となった。しかし病気のため大正3(1914)年に両社を辞した。これに先んじて法学博士会の推薦により明治41年法学博士の学位を授与された。経済学の知識を実践に移した実業家。<著作>『経済学大意』『外国為替詳解』<参考文献>井関九郎監修『大日本博士録』1巻

(渋谷隆一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「土子金四郎」の解説

土子金四郎 つちこ-きんしろう

1864-1917 明治-大正時代の経営者,経済学者。
元治(げんじ)元年4月13日生まれ。東京高商教授。ニューヨークの銀行で銀行業務を研究。帰国後日本銀行,横浜正金銀行に勤務,明治30年横浜火災保険の設立に参加して副社長となった。大正6年5月1日死去。54歳。江戸出身。東京大学卒。著作に「外国為替詳解」「経済学大意」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「土子金四郎」の解説

土子 金四郎 (つちこ きんしろう)

生年月日:1864年4月13日
明治時代;大正時代の経済学者;実業家。横浜生命保険重役;東京高等商業学校教授
1917年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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