20世紀日本人名事典 「土宜法竜」の解説
土宜 法竜
トキ ホウリュウ
- 生年
- 嘉永7年8月(1854年)
- 没年
- 大正12(1923)年1月10日
- 出生地
- 尾張国名古屋(愛知県名古屋市)
- 旧姓(旧名)
- 臼井
- 別名
- 幼名=光丸,号=雲外,木母堂
- 学歴〔年〕
- 慶応義塾別科卒
- 経歴
- 真言宗の学僧。4歳の時出家し法竜と称する。慶応義塾を出て、高野山、東京、京都に学んで明治12年高野山学林長になる。14年真言宗法務所課長、16年香川県三谷寺住職。26年シカゴ万国宗教大会に日本仏教代表委員として出席。会議終了後ヨーロッパに渡り、パリに5ケ月間滞在、またロンドンで南方熊楠と会う。39年仁和寺門跡・御室派管長、41年真言宗各派連合総裁となり、大正9年高野派管長に就任。高野山大学総理兼任。「木母堂全集」「南方熊楠・土宜法竜往復書簡」がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報