朝日日本歴史人物事典 「土山孝之」の解説
土山孝之
生年:元文5(1740)
江戸中期の旗本,勘定組頭。父孝祖,母は土山氏の娘。父も勘定組頭。勘定に列して以来,勘定所生え抜きの役人。田沼意次政権の蝦夷地開発計画に参画,狂歌師平秩東作に密命,蝦夷地を調査させた。田沼失脚(1786)後,富士見宝蔵番頭に転ず。遊女を妾とし,娘の病死を隠して親族書を偽り,前職在任中に買い米の公金を横領,幕府の追及を逃れて逐電(武州山口観音〈埼玉県所沢市〉に隠れた)の段不届きと,死罪に処せられた。大田南畝ら天明狂歌壇のパトロン的存在で,愛妾誰袖も狂歌を詠む遊女として知られる。
(山田忠雄)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報