朝日日本歴史人物事典 「土岐頼兼」の解説
土岐頼兼
生年:生年不詳
鎌倉後期の武士。父は頼貞。美濃国土岐郡(岐阜県)の住人。後醍醐天皇の第1次討幕計画の謀議(無礼講)に,日野資朝に誘われて参加。正中1(1324)年北野神社の祭日9月23日を挙兵の日と定めていたが,密告によって六波羅探題の知るところとなった。六波羅探題は悪党追捕の名目で,京中,洛外の武士を招集した。これは頼兼ら謀反人を一網打尽にする謀略であった。9月19日の早朝,六波羅の兵2000騎余を率いた山本時綱は,三条堀河の頼兼宿所を急襲した。頼兼は奮戦したものの衆寡敵せず,寝所で自刃した。
(佐藤和彦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報