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正中の変 しょうちゅうのへん

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

正中の変
しょうちゅうのへん

元亨4 (1324) 年,後醍醐天皇鎌倉幕府討滅を企て,事前に発覚して失敗した事件。即位以来,天皇親政を志していた天皇は,日野資朝,同俊基,土岐頼兼らと討幕計画を練ったが,計画が事前に発覚し,元亨4年9月 19日六波羅探題は兵をつかわして,土岐頼兼,多治見国長らを京都で殺害し,資朝,俊基を捕えた。

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デジタル大辞泉の解説

しょうちゅう‐の‐へん〔シヤウチユウ‐〕【正中の変】

正中元年(1324)後醍醐天皇が側近の日野資朝(ひのすけとも)らと鎌倉幕府討伐を企てた政変。計画が事前に漏れて失敗し、資朝は佐渡に配流ののち殺されたが、天皇は無関係であると釈明して事なきを得た。

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百科事典マイペディアの解説

正中の変【しょうちゅうのへん】

後醍醐天皇の鎌倉幕府打倒計画が失敗に終わった事件。かねて倒幕計画を進めていた天皇は,近臣日野資朝(すけとも)・同俊基らを地方に下して兵を集め,1324年(正中1年)六波羅(ろくはら)探題を襲おうとしたが,未然に発覚した。
→関連項目建武新政北条高時

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世界大百科事典 第2版の解説

しょうちゅうのへん【正中の変】

後醍醐天皇が鎌倉幕府を倒そうとして失敗した初度の政変。天皇は1321年(元亨1)12月親政を開始し政道刷新に旺盛な意欲をみせた。天皇の卓越した指導力は公家社会の嘱目するところとなり,日野俊基ら儒臣との宋学研究は,大義名分の上から討幕を理由づけたと思われる。また天皇は一代主と定められていたため,両統迭立の原則を示し続ける幕府の存在は厚い障壁となっていた。一方幕府も内紛と寺社勢力の敵対に苦しみ,各地では悪党が跳梁するなど,幕府の専制支配にも破綻が顕著となった。

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大辞林 第三版の解説

しょうちゅうのへん【正中の変】

1324年(正中1)、後醍醐天皇が側近の日野資朝・俊基らと企てた鎌倉幕府討滅計画が露顕して、失敗した事件。資朝は佐渡に流されたが、天皇は幕府に釈明して許された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

正中の変
しょうちゅうのへん

1324年(正中1)に後醍醐(ごだいご)天皇が鎌倉幕府の討滅を策し失敗した政変。1318年(文保2)の即位以来、政治に意欲を燃やし、21年(元亮1)に親政を実現した天皇は、幕府の皇位相続への干渉を絶とうとし、側近の参議日野資朝(ひのすけとも)、蔵人頭(くろうどのとう)日野俊基(としもと)らと謀り、ひそかに幕府を倒す謀議を重ねた。23年資朝はひそかに東国へ、俊基も病気療養のためと称して南畿(なんき)方面に下向し、同志の糾合に努めた。当時鎌倉幕府は内政の矛盾に苦しみ、北条(ほうじょう)氏の内訌(ないこう)もあり、その専制政治に一般御家人(ごけにん)も不満を抱いていたから、好機到来と判断したのであろう。しかし24年9月、密告によって情報をつかんだ六波羅(ろくはら)の兵は、挙兵準備中の美濃(みの)国(岐阜県)の武士多治見国長(たじみくになが)、土岐頼貞(ときよりさだ)(頼兼(よりかね))の京都の宿所を急襲し攻殺した。ついで資朝、俊基らを謀議の中心人物として逮捕し、鎌倉に護送して厳重に取り調べた。一方、天皇は老臣万里小路宣房(までのこうじのぶふさ)を鎌倉に急派し、得宗(とくそう)北条高時(たかとき)に、関与していない旨を陳弁し、資朝も自己一身に責任を負ったので、幕府も深く追及せず、俊基も許されて京都に帰った。このように第1回目の倒幕計画は事前に発覚、失敗したが、これがやがて第2回目の挙兵、元弘(げんこう)の変につながっていくのである。[五味克夫]

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