土崎村(読み)つちざきむら

日本歴史地名大系 「土崎村」の解説

土崎村
つちざきむら

[現在地名]千畑村土崎

真昼まひる川・川口かわぐち川・丸子まるこ川が形成する複合扇状地にあり、北は本堂城廻ほんどうしろまわり村、南は小荒川こあらかわ村、丸子川を隔てて西は安城寺あんじようじ村と接する。

戸沢家譜の家盛の項の応永二七年(一四二〇)に「土崎城主土崎民部」とあるが、城館跡は確認されていない。中村なかむら八幡殿はちまんでん年代不明の板碑がある。

正保四年(一六四七)の出羽一国絵図に六七九石とある。

土崎村
つちざきむら

[現在地名]須崎市土崎町・妙見みようけん

須崎湾最奥部、さくら川下流右岸にある吾井郷あいのごう村の枝村。「土佐州郡志」には「市区一条東西長二百三十六間此謂土崎、東限真福寺山、西北際田畝、南限神田古川」とある。

慶長九年(一六〇四)初代藩主山内一豊の国内初巡見のとき、仕官を勧められた津野氏一族の中平忠清は、これを断って土崎での町家取立てを願出た(津野中平氏由来)。それに対し一豊は同年二月二〇日付で「津野之内神田新町居屋敷年貢之事並諸公事令免許候間、役儀少も在之間敷候者也」という免許状(同書所収)を与え、町づくりが始まった。

土崎村
つちざきむら

[現在地名]酒田市土崎

大多新田おおたしんでん村の南東にあり、最上川下流右岸に位置する。土崎遺跡からは柱根、「毛」の墨書銘を有する須恵器などが出土し、平安時代の集落跡とされる。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録では高一石余。寛永元年庄内高辻帳では一八石余。正保郷帳によると田方二二石余・畑方三石余。明暦二年(一六五六)には高一二七石余(「検毛帳」飽海郡誌)、寛文九年(一六六九)に田畑二町三反余、享保九年(一七二四)には一七町七反余となっている(「検地帳」土崎区有文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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