日本歴史地名大系 「土御門殿跡」の解説 土御門殿跡つちみかどどのあと 京都市:上京区京都御苑土御門殿跡[現在地名]上京区京都御苑平安中期の公卿藤原道長の邸宅跡。道長は摂政兼家の五男、藤原氏の全盛時代を築き、法成(ほうじよう)寺を建立、日記「御堂関白記」を残した。その生涯は「栄花物語」に描かれる。邸の位置は「拾芥抄」に「土御門南京極西」とあり、現京都御苑内大宮(おおみや)御所の北の部分にあたる。京極殿(きようごくどの)とも、また大内裏の上東門に通じる土御門大路に面しているところから「上東門(じようとうもん)第」ともいう。もと道長の妻倫子の父左大臣源雅信の邸宅で、雅信の死後、倫子を経て道長が伝領した。道長は東三条殿をはじめ、枇杷殿(びわどの)・二条殿(にじようどの)・一条殿(いちじようどの)など京中に多数の邸宅を有していたが、倫子と最も長く生活したのが当所で、長女の彰子が生れる前後から移り住んでいる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報