日本歴史地名大系 「土手ノ丁」の解説 土手ノ丁どてのちよう 福岡県:福岡市中央区福岡城下土手ノ丁[現在地名]中央区天神(てんじん)二丁目・大名(だいみよう)二丁目・赤坂(あかさか)一丁目赤坂門の東に延びる通りの片側町で、北は大名町、南は紺屋町(こうやまち)堀(中堀)に臨む。武家町で、「土手ノ丁」と記され、東端に枡形をもつ薬院(やくいん)門がある(以上、福岡博多近隣古図)。町名は紺屋町堀の堤に沿った町であることにちなむ(筑前国福岡区地誌)。元禄八年(一六九五)一二月一二日晩に土手ノ丁から出火、武士屋敷数軒を延焼(新訂黒田家譜)。宝永分限帳(集成)によれば、「土手町」に浅山弥左衛門(禄高一千三〇三石)ら七名の屋敷がみえる。享保一〇年(一七二五)一一月一八日に荒戸(あらと)四番町から出火した火災により、土手ノ丁では浅山弥左衛門(禄高一千三〇〇石余)・槙長左衛門(同一千二〇〇石)ら七名の屋敷が焼失(「長野日記」、「享保分限帳」集成)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by