土谷 一光(2代目)
ツチヤ イッコウ
明治・大正期の陶工
- 生年
- 嘉永3年(1850年)
- 没年
- 大正13(1924)年
- 出身地
- 加賀国(石川県)
- 本名
- 横萩 徳松
- 経歴
- 父の初代一光に陶法を師事。明治12年加賀鶯谷で作陶。15年ころ越中安居焼を指導。のち金沢で製陶のかたわら楽焼を原呉山に学んだ。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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土谷一光(初代) つちや-いっこう
1809-1882 江戸後期-明治時代の陶工。
文化6年生まれ。越中富山藩主前田利保(としやす)につかえ,一光の号をあたえられる。安政のころ埴生(はにゅう)焼の竹亭窯の製陶をたすけた。文久2年加賀金沢藩主前田斉泰(なりやす)に御用唐津師としてつかえ,ついで金沢鶯谷,京都で製陶に従事した。のち横萩と改姓。明治15年死去。74歳。越中出身。
土谷一光(2代) つちや-いっこう
1850-1924 明治-大正時代の陶工。
嘉永(かえい)3年生まれ。初代土谷一光の長男。明治12年京都から金沢鶯谷にうつる。さらに富山県で安居(やすい)焼を指導し,のち金沢にもどって,原呉山(ござん)に楽焼をまなぶ。29年京都にうつり彫刻陶を製作した。大正13年死去。75歳。本名は横萩徳松。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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