大和猿楽の一つ。坂戸は奈良県平群(へぐり)町近辺。法隆寺所属の猿楽として鎌倉時代から同寺の六月会(みなづきえ)に参勤する一方,円満井(えんまんい)座・結崎(ゆうざき)座・外山(とび)座とともに興福寺薪(たきぎ)猿楽・春日若宮祭・多武峰(とうのみね)八講猿楽にも参勤。長い間金剛座の古名とされていたが,「翁」を演じる組織の翁座としての坂戸座から能芸を主とする能座の金剛座が派生した。金剛座の名は南北朝期~室町初期に座の棟梁となった金剛権守(ごんのかみ)に由来するか。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…能のシテ方の流派名。坂戸郷と呼ばれた奈良県生駒郡平群(へぐり)町付近を本拠地として法隆寺に奉仕した坂戸座(鎌倉時代から記録所見)が源流らしく,室町初期には春日興福寺に勤仕する大和猿楽四座の一つとなった。1721年(享保6)に幕府へ提出した書上(かきあげ)および家元の系図では,足利義満時代の坂戸孫太郎氏勝(1280‐1348)を流祖とし,金剛三郎正明(1449‐1529)から金剛姓とするが,確実なことはわからない。…
…日本芸能の種目名。通常,猿楽能を指す。広義には歌舞劇の一般名で,ほかに田楽能(でんがくのう)(田楽)があり,延年の歌舞劇を便宜上,延年能と呼ぶこともある。猿楽能は,南北朝時代から室町時代初期にかけて発達し,江戸時代中期にほぼ様式の完成を見たが,他の能はこうした発達を遂げないままに終わった。以下,猿楽能についてだけ述べる。猿楽能は屋根のある専用舞台をもち,面(おもて)を用い,脚本,音楽,演技に独自の様式を備え,猿楽狂言(通常,単に狂言と称する)と併演する芸能である。…
…この薪猿楽や若宮祭に出勤した猿楽は後の円満井座の祖と考えられるが,彼らは鎌倉時代に入ると京都や近江にまで進出して,〈奈良猿楽〉などと呼ばれている。これは大和猿楽の活動がようやく活発になってきたことを示すもので,鎌倉初期にはこの円満井座の祖と思われる猿楽のほかにも,法隆寺属の坂戸座,長谷寺属の長谷猿楽の存在が知られる。こうして,外山,結崎,坂戸,円満井の四座が,大和一国に強大な支配を誇った興福寺属となり,これが大和における代表的な猿楽座となるわけであるが,興福寺への四座参勤という形態がいつ始まったかは不明である。…
※「坂戸座」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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