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大和猿楽 ヤマトサルガク

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デジタル大辞泉の解説

やまと‐さるがく【大和猿楽】

中世、大和国本拠地をもって、春日神社の神事などに奉仕した猿楽の座の総称。大和四座が著名で、近世以降の猿楽の主流となった。→大和四座(しざ)

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百科事典マイペディアの解説

大和猿楽【やまとさるがく】

大和国の社寺の神事祭礼に勤仕した猿楽諸座の総称。興福寺修二会(しゅにえ)の薪(たきぎ)猿楽は平安中期までさかのぼり,のちに春日若宮祭にも出勤,円満井(えまい)座(竹田座)の祖となる。

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世界大百科事典 第2版の解説

やまとさるがく【大和猿楽】

興福寺,法隆寺等の大和の寺社属で,その神事祭礼奉仕を根本的な義務とした猿楽。《風姿花伝(ふうしかでん)》神儀に,〈大和国春日御神事相随申楽四座〉として,外山(とび)(宝生座),結崎(ゆうざき)(観世座),坂戸(さかど)(金剛座),円満井(えんまんい∥えまい)(金春(こんぱる)座)の四座がみえており,室町初期にはこの四座が大和における代表的な猿楽座となっていた。この四座がやがて近江,丹波等の近隣諸座に対して優位に立ち,能の隆盛に中心的な役割を果たすのだが,その大和猿楽の歴史は平安時代にまでさかのぼる。

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大辞林 第三版の解説

やまとさるがく【大和猿楽】

大和国に座をもつ猿楽の総称。丹波猿楽・近江猿楽などに対していう。室町時代には、大和四座をいった。 → 大和四座しざ

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

大和猿楽
やまとさるがく

中世に大和国(奈良県)に本拠を置いた猿楽の座の総称。大和一円に大小の座が存在したが、それらのうち大和平野およびその近辺に座を構えた円満井(えんまんい)座(のち金春(こんぱる)座)、坂戸(さかど)座(のち金剛(こんごう)座)、外山(とび)座(のち宝生(ほうしょう)座)、結崎(ゆうざき)座(のち観世(かんぜ)座)の四座(よざ)は、興福寺薪(たきぎ)猿楽、春日若宮(かすがわかみや)おん祭などに参勤し、興福寺所属の猿楽として勢力を伸長した。さらに室町初期に結崎座の観阿弥(かんあみ)・世阿弥(ぜあみ)父子が京都へ進出、足利(あしかが)3代将軍義満(よしみつ)の愛顧を受けたことによって、大和猿楽四座の立場はいっそう強固なものとなった。元来は物真似(ものまね)本位で動きの激しい鬼能(おにのう)などを本領とする芸風であったが、観阿弥が歌舞の要素を強化し、世阿弥がそれに高雅優美な表現を加えて芸術性を高めた。戦国時代には大和猿楽も危機に瀕(ひん)するが、金春座をひいきにした豊臣(とよとみ)秀吉は大和猿楽四座を猿楽諸座の代表とし、ここに丹波(たんば)猿楽、宇治猿楽など他座の役者を所属させて扶持(ふち)し、徳川家康もその政策を継承したので、大和猿楽四座のみが猿楽の命脈を伝えるに至った。やがて本拠を江戸に移し、江戸初期に成立した喜多(きた)流を加えて四座一流が江戸幕府保護の猿楽と定められ、それが今日の能のシテ方五流(観世流、金春流、宝生流、金剛流、喜多流)となった。[小林 責]

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世界大百科事典内の大和猿楽の言及

【御祭猿楽】より

…両日の分ともに明治初年の混乱期に金春座だけが参勤したときの形式をほぼ踏襲している。1136年(保延2)の若宮祭始行以来,祭礼(当初は9月17日)の賑神(しんしん)芸能は田楽が中心で,猿楽の役割は少なかったが,室町時代になると猿楽が中心となり,同時に大和猿楽四座に参勤の義務が課せられることになった。四座は松之下の行列に加わり,金春,金剛は〈弓矢ノ立合〉を,観世,宝生は〈舟ノ立合〉を松の下で舞い,後日能も四座が10番程度演じるようになった(このころから式日は11月27日が多くなる)。…

【猿楽】より

…また南北朝から室町初期にかけて猿楽者の集団は座の体制をとるようになり,各地に猿楽の座が存在した。なかでも大和猿楽の四座,近江猿楽六座が名高く,ことに大和の結崎(ゆうざき)座の観阿弥世阿弥父子によって今日の能の基礎が固められるのである。
[猿楽の役者]
 当時の有名な役者たちを挙げると,〈田楽〉の一忠・花夜叉・喜阿弥・高法師(松夜叉)・増阿弥(〈田楽〉も猿楽とさして距離をおかぬものであって,世阿弥伝書にも総合的に論じられている),近江猿楽の犬王(いぬおう),大和猿楽の金春権守(こんぱるごんのかみ)・金剛権守などである。…

【薪能】より

…薪猿楽執行の初めは明らかではないが,平安中期ころと推定される。世阿弥の《風姿花伝(ふうしかでん)》神儀に,〈大和国春日御神事相随申楽四座〉とあり,興福寺の修二会には大和猿楽が参勤の義務を負っていたことが知られる。修二会の前行事として行われる薪の宴の神事は,諸神を勧請するために焚く薪を採るもので,西金堂は河上,東金堂は氷室の両社から薪が運ばれ,法呪師(ほうしゆし)(呪師)が四民安穏・厄難駆除の悪魔払い,鬼やらいをした。…

【多武峰猿楽】より

…談山神社は明治以降の名で,古くは神仏混交で妙楽寺と寺社総合して単に多武峰と呼ばれることが多かった。世阿弥の《申楽談儀(さるがくだんぎ)》,金春(こんぱる)禅竹の《円満井(えんまい)座壁書》《明宿(めいしゆく)集》には,多武峰参勤が大和猿楽四座の義務であったことが述べられており,例年10月10日から16日まで催される維摩(ゆいま)八講会に付随して,13,14日に猿楽が演じられ,八講猿楽と呼ばれた。《多武峰年中行事》によると,9月11日の御霊会,9月23日の祭礼にも能が行われている。…

【能】より

…この能の形成には,呪師猿楽や翁猿楽の影響が大きいと考えられるが,具体的な形成過程はわかっていない。 南北朝時代には,諸国の猿楽座の中で大和猿楽近江猿楽が際立つ存在だった。大和猿楽の中心は興福寺支配の4座,すなわち円満井(えんまい),坂戸,外山(とび),結崎(ゆうざき)の座で,これが後に金春(こんぱる)座(金春流),金剛座(金剛流),宝生座(宝生流),観世座(観世流)と呼ばれるようになる。…

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