改訂新版 世界大百科事典 「結崎」の意味・わかりやすい解説
結崎 (ゆうさき)
大和国城(式)下(しきのしも)郡の地名。現奈良県磯城郡川西町大字結崎。奈良盆地中央部の低地で,寺川右岸に位置する。魚崎,夕崎とも書く。鎌倉時代から地名として土地売券等に所見するが,荘園としての領有関係は未詳。興福寺か春日社領であった可能性があり,地域内に春日社末社があったという。江戸時代初期の結崎村は2255石余(元和郷帳)。結崎が歴史地名として著名なのは,能楽の観世座がその草創期にここに本拠をすえたことによる。観世流の祖観阿弥清次は,伊賀国で成長し,小波多(現,名張市)で一座を結成し,結崎に移って座名も結崎座(ゆうざきざ)と改めたといわれてきた。芸風の上でも経済的にも一座の基礎を固め,結崎座は大和猿楽四座の一つとなった。移住の年紀も理由も未詳であるが,近傍に竹田,出合,宝生などの諸座があって互いに交流する環境にあり,春日社や多武峯(とうのみね)寺の保護を期待しえたことなどが理由で,ほかに観阿弥と結崎との個人的なつながりもあったのであろうか。結崎座は観阿弥の晩年から京都でも活躍し,観阿弥は子世阿弥とともに足利義満に見いだされて能楽を完成するが,それとともに結崎座の名称も使われなくなった。地区内に〈観世発祥之地〉の記念碑がある。
執筆者:熱田 公
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報