坂戸神社跡(読み)さかとじんじやあと

日本歴史地名大系 「坂戸神社跡」の解説

坂戸神社跡
さかとじんじやあと

[現在地名]上野市才良

式内社。江戸初期成立の「延長風土記」に「伊賀郡坂戸山出杉檜、有神、号坂戸若宮、所祭稚霊命也」と載せ、「三国地志」は次のように記す。「按、才良村ニ坐ス杉谷明神ト称スル是ナリ。社地方四町計、今尚杉ノ大木多シ、倒杉トテ尤古怪ニシテ倒生ノ勢アル一株、倭姫命ノ故事ヲ伝フ。本社所祭ハ明神ニシテ、九月十七日祭祀ヲナス。シカレバ風土記シルス所ノ稚霊命ハ豈稚日霊尊ノ謬ニ非ザルヲ得ンヤ」。

しかし坂戸神社旧社地という坂戸森はやぶはな才良ざいりようの北西部であり、杉谷すぎたに神社のあった吉田谷よしだだには東南部で、かなり距離があるが、江戸初期以前に坂戸神社は杉谷神社に合祀された。文化年間(一八〇四―一八)旧社跡の隠滅を惜しむ村民らが藪ヶ鼻に近い東浦ひがしうらに小社を建てて坂戸神社と称した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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